ヴォネガット、大いに語る

ヴォネガット、大いに語る」(カート・ヴォネガットISBN:4150501505)を読む。講演などの短文集。
これはいまいち。読むのが途中できつくなった。

ビアフラ共和国

ヴォネガットはフィクションをノンフィクションっぽく書くので、騙されないようにいつも気をつけている。で、ビアフラ共和国のくだりもフィクションだと思って読んだのだが、調べてみたら本当のことみたい。でも本人に聞いたらフィクションだって言いそうだな。

プレイボーイ・インタビュー

プレイボーイ誌のインタビューは結構よいものが多い気がする。このインタビューも、今までヴォネガットものを読んで思った疑問にある程度の答えが得られた。

―――あなたの作品のいくつか、特に「タイタンの妖女」と「スローターハウス5」には、時のあらゆる瞬間は同時に存在しているから、現在の意思の行為によって未来を変えることはできない、という深刻な考えが述べられていますね。事態を改善したいと言う願望は、その考えとどう結びつくのでしょう。
ヴォネガット もちろんおわかりでしょうが、わたしの言ってることはみんなたわごとです。(P315)

―――しかし、名前による結びつきは、「猫のゆりかご」のなかで、あなたが偽りのカラース(karass)と呼んでおられるもの、つまり、無意味な、あるいはわざとらしい共通の体験のうちに同一性を見いだす集団、ということになりませんか。
ヴォネガット さあどうですか。ただ、もしうまくいきさえすればそんなことは問題じゃない。(P330)

―――科学者と、科学的な世界観に対する強力な告発状ともいうべき「プレイヤー・ピアノ」から判断しますと、あなたは科学者にもあまり好意をお持ちでないらしい。あの作品が出版されて二十一年たちますが、その間に科学者に対するあなたの態度は変わったでしょうか。
ヴォネガット そうですね、科学者のほうがずいぶんかわってきました。(P352)

特にコメントしなくてもいいか。
疑問点とは関係ないけど気になったところ。

「朝食」を書いてひとつはっきりしたのは、さっきも言ったとおり、両親がもっと幸せであってほしかったのに、実情はそうでなかったことに対する怒りがまともに表面化したということです。(P378)

私は、私の両親が幸せでなかった(幸せでない)とは思ってない。それなのにここに引っかかったのはなんでだろうか。なんで?