水素は石油に代われるか

「水素は石油に代われるか」(ISBN:4274200744、Joseph J. Romm)を読む。
燃料電池自動車がわりにあわないとか、各論についてはわかりやすい(私の考えとほぼ同じ)と思う。でも全体としてどういう主張なのかわかりにくいかも。「水素」をタイトルに持ってきているけど、コジェネ推進派ってことでいいのかな?
で、少しわかりにくくなっている理由として、評価基準が多少ゆれているところがあるかも。コストだったりエネルギー効率だったり政策的な話だったり。もちろんすべてのハードルをクリアしないと普及には至らないのだけど、ハードルにも越える順番があって同じような評価はできないんじゃないかと思う。
ハードルの順番は大雑把に言ってこんな感じじゃないかと思う。

  1. 原理的にどうか。熱力学の基本法則などに反してないかとか。
  2. 賦存量はどうか。すべての屋根に太陽電池を敷き詰めたらどれくらいの発電量になるかとか。
  3. 研究レベルでの性能はどこまでいっているのか。
  4. 量産機レベルでの性能は。
  5. コストは。
  6. 社会的には。安全性とか。

で、コスト的にダメだっていう評価は、あともう一歩のところまで来ているんじゃないかと思ってしまうのだ。でも賦存量評価あたりでダメ出しされるものはもっと多いんじゃなかろうか。

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ちなみに訳者はFCDICの中の人(本間琢也氏)だった。そんな人が

私が今まで漠然と抱いていた水素エネルギー社会に対する漠然とした疑問が、ちょうど山中で霧が消え去って、見る見る視界が広がってきたような、そんな思いをその内容に抱いたからである。(訳者序文)

なんて言ってちゃいかんだろ。
あと、パラケルススのことをパラセルサスと書いたり、ジュール・ヴェルヌのことをジュールス・ヴァーンと書いたりしてるのが気になった。一般的な読み方にしようよ。