「大森荘蔵-哲学の見本」を途中までと知覚と世界

大森荘蔵-哲学の見本」(野矢茂樹ISBN:9784062787536)を読む。大森氏についてはまったく知らない。野矢信者買い。
また失敗した。解説本はダメだっていつも書いてるのに。信者買いだから仕方ないけど。
なんで解説本がダメなんだろうか。本を批判的に読もうとしても、(この本の場合だと)大森氏への批判なのか野矢氏への批判なのかよくわからなくなるというのがあるかも。それを解消するために、大森氏の著作は「バイブル」として固定して、批判は野矢氏に集中することになるけど、さすがにそれは気持ち悪いと。

知覚と世界

この本の最初のほうだったと思うけど、物の色や匂いは知覚されて現れる性質で、それを除いたら空間的位置が残る云々といった話があったように思う*1
確かに物理の記述なんかも時空間が基本的な記述になってる。
でも、私たちが認識するのは五感(視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚)がすべてで、それらを元に世界を記述(物理法則の数式化とか)しなければならない。なんで時空間が特別視されるのか。視覚や触覚が空間把握に適してるからか?
もし嗅覚しかない知的生命体がいたら、彼らはどんな風に世界を記述するのだろうか。知的生命体でなくてもいい。高性能の匂いセンサーだけ(移動機能もなし)を土星あたりに飛ばしたら、土星に関する記述はどんな風になるのか。
などと考えると、世界の記述は知覚に依存するような気がするのだが。空間はどこから出てくるのか。匂いセンサーが二つ以上あれば空間把握もできるか。
なんか面白い問題のようにも思うのだけど、どうだろう。でも哲学的には自分の実感とかけはなれてるから、どうでもいいって言われそう。
もうちょっと考えたらあっさり解決しそうな気がする。というか、なんかものすごく基本的なところを見落としてる気がする。

*1:多分かなり間違った記憶だと思うが、あとの話は本の議論とは関係ないので気にしない