幸せってなんだろう… 〜「環境リスク心理学」

って言っても、宗教とか哲学の話ではなくて環境問題の話。「環境リスク心理学」(中谷内一也、ISBN:4888487510)を読む。環境問題について、人々はどんなことが危ないと思っているのか、それは本当に危ないのか、どのようにすれば問題が正しく伝えられるのか、といったような内容。非常に面白かった。私の志向にぴったりはまった。内容は多岐にわたるので、今日はひとつだけ。
いわゆる一般の人は原子力、警察業務、登山などがリスクが高いと思っているのに対し、専門家は電気、外科手術、水泳、X線などをリスクが高いと思っているらしい(96ページあたり)。この違いは、専門家はリスクを死亡者数で認識しているが、一般の人はそうでないためのようだ。じゃあ、「本当に」リスクが高いのはどちらなのだろうか?どちらのリスクを減らすべきなのだろうか?私も今までは死亡者数でリスクを認識すべきだと思っていたが、その考えはあやしくなってきている。
私たちが目指すべき社会は人が死なない社会なのだろうか?もしそうであるのなら、専門家のリスク認識が正しいのであり、水泳の規制などを考えなければならないだろう。でも最近は違うような気がしてきている。目指すべき社会は人が幸せを「感じる」社会なのではないだろうか。危ない危ないと思いながら長生きするよりも、安心安心と思いながら早く死んだほうが良いのではないだろうか。つまり一般の人が認識しているリスクが「正し」く、登山の規制などを考えたほうが良いのではないだろうか*1
もちろん一般の人が専門家並みの知識(考え方?)を獲得できれば、みんな死亡者数にのっとったリスク認識をするようになって目指すべき社会の方向性は一致するのだろう。ここで言っているのは、どのようなスタンスで方向性を考えるのかという話。今、規制するとしたら水泳なのか登山なのか。
この問題はまだよくわかりません。

*1:もっとも、一般の人が認識しているリスクを減らしても、次はこれが危ない、今度はあれだ、と次々に新しいリスクが喧伝されるだろうから「安心安心」とは思えないでしょうね