古典を読むときは時代背景を大切にね。 〜「沈黙の春」

一応環境問題に興味を持つものの基礎教養として古典でも読んでみるかと思い、「沈黙の春」(レイチェル・カーソン)を読む。全体的にネガティブな感想を抱いてしまったが、これは私の環境問題への志向が主に持続可能性にあり(エネルギー枯渇問題とか)、生態系の維持にはあまり関心が無いからだと思う。少なくとも、人類の持続可能性を高めるために、生態系の維持はあまり重要でないと思っている。
で、肝心の中身。生態系関係の話にはあまり関心が無いとは言いながら、さすがに古典的名作ということなので楽しみに読み始めた。冒頭の「明日のための寓話」。アメリカのある町では自然が豊かだったのに、なぜか動物が死に樹木が枯れ果ててしまう…といった感じで始まり、なんだかずいぶん深刻な話だなと読みすすめていたら、「本当にこのとおりの町があるわけではない」。
正直な話、本にツッコミをいれてしまいました。ここまで引っ張っといて嘘でしたはないだろ。まぁよく読めばタイトルは「寓話」となっているのでフィクションなのは仕方がないのだが…
この本は時代背景を考慮した上で読むべきなのではないだろうか。つまり現在の環境問題が盛んに警鐘されている状態でこの本を読んでも、何をいまさらと感じてしまうのは仕方がないのかも。あくまでも古典は古典と。
で、時代背景を無視して読むが、どうにも気になってしまう。参考文献がないので話に信憑性が感じられない。あそこでこんなひどいことが起こった、っていう話ばかりで統計的な議論がない。農薬を使用する利点や農薬をやめて天敵導入などをおこなった場合のデメリットを考えていない。なんだかネガティブな感想ばかりだ。
と言っても、途中で疲れて半分くらいで読むのをやめちゃったんだけどね。

追記

沈黙の春」の原著には参考文献リストが50ページ以上あったらしい。上の信憑性云々は訂正します。
http://blogs.yahoo.co.jp/chemist_at_univ/18004451.html