人類は何年後まで生きのびるのでしょうか。 〜持続可能性の評価とは

持続可能性という言葉は使う人によって意味がまちまちのようだ。

安井至氏は持続可能性を次のように4つに分類している(http://www.yasuienv.net/CSR2005.htm)。

  1. 企業の持続可能性
  2. 環境の持続可能性
  3. 社会の持続可能性
  4. 地球(人類)の持続可能性

この分類が妥当かどうかはわからないけど、このように対象を明確化することは必要だろう。
この中で私が興味を持っているのは人類の持続可能性である。企業の持続可能性なんてその企業が考えればいいだけ。経済学の範疇であろうか。社会の持続可能性は政治の話?環境の持続可能性(生態系の維持ということか?)は比較的重要だと思っているが、人類の持続可能性のためのスパイスに過ぎないのではないかと思う。種の保存を第一目的にしてしまうと天然痘の根絶も悪になってしまう。生態系は食用・エネルギー・有用細菌など人類の生存のために維持されるという位置付けなのではないだろうか。

で、人類の持続可能性。その方法については別の機会ということにして、評価基準をどうするか。ブルントラント委員会による「持続可能な開発」は、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」という定義となっている。「将来の世代」というのがいつまでなのか明示されていないので、おそらく半永久の未来を想定しているのだろう。とすると、「現代の世代の欲求も満足させるような開発」のための資源は再生可能なものに限られる。ということでブルントラント委員会定義による「持続可能性」評価式は次のようになる。

  • 使用する資源/再生可能資源生産量→0
  • 非再生可能資源使用量/再生可能資源使用量→0

結構厳しい気がする。あと人口についての評価がない。地球全体の人口が100人くらいになって細々と暮らしていくのもこの定義を満足してしまうのでは?

個人的には、時間軸の設定、人口の評価を含めるのがよいのではないかと思う。人類の始まりをホモ・サピエンスとすると、これまでに1万年ほど経ったので、あともう1万年人類が維持できればよしとする。で、今から1万年後までの人口の総和を「持続可能性」の評価基準とするのはどうだろうか。
\int\limits_{2005}^{12005}\text{(polulation)} dy \rightar {\infty}
時間軸が長いので割引率は0%にしたほうが良いか。寿命についてはどうだろうか。寿命は短いが人口は多いという状況は好ましくないのではないか。評価にDALYなどを入れる必要があるかも。でもこの評価式の一番の問題は、1万年後までの予測なんて誰もできないので現実的でないこと(笑)。100年後くらいで十分かな?