新・環境倫理学のすすめ

中西氏の雑感*1経由で「新・環境倫理学のすすめ」(加藤尚武ISBN:4621053736)を読む。ちなみにこの本の前著である「環境倫理学のすすめ」(加藤尚武ISBN:4621070347)は結構前に読んでいて、なかなか面白かったので「新」のほうも期待して読んだ。

ちなみに、同ページのリンクにあった岸本氏の批評ページ*2も合わせて読むといいかも。

で、本の感想。個別の話はそれなりに理解できる。だけど本全体として何が言いたいのかよくわからない。トピックを羅列しているだけという印象を受けてしまった。個別のトピックに関しても、ひとつひとつの説明が詳しくないので消化不良になる。興味があるトピックは自分で勉強しろということなのだろうか。

予防原則

予防原則関連の話題で、中西氏が岸本氏を次のように批判している。

岸本さんは先のホームページで、”(省略:村本)“と批判しているが、この岸本さんの批判は当たらないと思う。

つまり加藤さんは、不確かな事象に対し、予防原則はありえないということを言っているのである。それが、何よりも予防原則に対する批判だという意味で、私は加藤さんの論述を支持。

でもなんだか話がかみ合っていないように思えた。それは「予防原則」の定義がそれぞれで異なっているからではなかろうか。私がWEBを検索した範囲では「予防原則」とそれに類似した「未然防止」は次のような感じだった。

  • 予防原則(precautionary principle):科学的に因果関係が十分証明されない状況で規制をおこなう
  • 未然防止(prevention principle):科学的に因果関係が証明された状況で規制をおこなう

二つの違いは因果関係の有無である。岸本氏はこれらを別のものとして認識しているが、中西氏や加藤氏はこれらをまとめて「予防原則」と呼んでいるように思われる。加藤氏は「因果関係については100%確実な認識が成立していて、(中略:村本)予防原則は技術的に実行可能である」と言っており、岸本氏は「不確実性が存在する場合こそが予防原則の出番である」と言っていることからもわかる。上の定義が正しいならば、「不確かな事象に対し、予防原則はありえない(中西氏)」のではなく、「不確かな事象に対し、予防原則は定義矛盾である」と言うべきなのでしょう。ただ、上の定義が正しいのかどうかはわかりませんけど。

それと、岸本氏は加藤氏が「後悔しないですむ原則」=「予防原則」としている点を批判しているだけであって、予防原則を採用すべきかどうかといった点については論じていない。多少深読みすれば岸本氏も「原因が不確定なときにあえて対策を行う予防原則」を批判しているように思える。この点については岸本氏も加藤氏も同意見だと思う。

結局予防原則は採用すべきかどうかに関しては、私は採用すべきでないと思う。科学的には100%なんてものはないけど、原則としては科学的証明をベースにする未然防止を採用すべきだと思う。

#メカニズムの検証が必要か?統計データで十分か?「何が起こるかわからないから」は問題外。

損失余命によるリスク評価

  • 加藤氏の引用だけでは鬼頭氏の論点は十分には理解できない。引用部分(P168〜169)は至極もっともだと思う。
  • 鬼頭氏は「抗がん剤を拒否して作品の完成を求めた場合の余命」と「作品の完成を断念した場合の余命」だけが比較の対象であることを批判しているように読める。(「作品の完成」+短くなった余命)と(延命措置により伸びた余命)を比較して意思決定することもあるという主張だろう。損失余命の提示そのものは批判の対象ではないのでは。
  • 個人レベルでは「かけがえのない価値」を意思決定の材料にするのはしょっちゅうだけど、国レベルでの意思決定の材料には比較可能な指標を使って欲しい。そうしないと批判もできない。損失余命が最善の指標であるかどうかは知らないけど。
  • 前著は面白かった。環境問題には倫理的な視点が不可欠であるという提示。