ないものねだりのゼロリスク

「100%安全」なんてありえるんでしょうか。ありえません*1程度の問題です。

でもみんな100%の安全を求めているような気がします。BSEの米国産牛肉輸入問題なんかがその典型例だと思います。このゼロリスク志向は中西準子*2や安井至氏*3らによって、よく批判されています。私もゼロリスクはありえないと思いますし、ゼロリスクを追い求めると無駄が多くなる*4と思います。

そうは言いながら、私も自分が時々ゼロリスク的に考えていることに気が付きます。

なぜゼロリスクを求めるんでしょうか。

ひとつは上で挙げた「100%安全」を求めているからでしょう。でもこれは無駄です。

もうひとつは、バランスを考えることの難しさからではないかと思います。評価項目がひとつなら簡単ですが、評価項目が二つになるとトレードオフが生じるために格段に難しくなります。項目が三つ四つと増えるとなおさらです。ゼロリスク志向はこの項目の数を減らす取組みなのではないでしょうか。評価項目の数を減らして考えやすくすると。

このバランスを取る難しさを解消するための研究が中西氏らによるリスク論なのでしょう。たくさんの危険因子があってそのバランスを考える必要があるときに、損失余命等ひとつの評価項目にまとめて考えやすくする。

ゼロエミッションもゼロリスク志向と似たところがあるかも。

最近、大掃除をしている時、目の前にある机の掃除から始めていた。掃除すべき場所の全体を考えて、一番掃除が必要な場所から始めるべきなのに、手近なところからやってしまった。目の前が片付くと一仕事終えた気分になれるから。全体のことを考えていなかったのに気がつき、これってゼロリスク思考につながるのかな、って考えた次第でした。

*1:ここで断定しちゃってるのは、とりあえず置いといて

*2:http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/

*3:http://www.yasuienv.net/

*4:全頭検査にかけるお金の無駄とか