科学者って何だ?

どこを経由したのかは忘れたけど、天羽優子氏と吉岡英介氏がマイナスイオンネタでやりとりしたページにたどり着いた。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/appendix/app26.html

議論の中身はマイナスイオン関係でよくあるパターン。吉岡氏にツッコミポイント多すぎ。天羽氏がほとんど突っ込んでくれているので、ここでは特にコメントしません。

議論の筋とはほとんど関係ないけど、気になるやりとりがあったので少し。科学者のあり方(?)について下のようなやり取りがあった。

吉岡英介氏

ある猫にこの水を与えたところ、
いつまでもおいしそうにピチャピチャとなめていた。
その猫はもう何年も飼われているのだが、
その猫がこれほど水を飲むところを、飼い主は初めて見た。

という現象があります。

日本中のたくさんの猫がこういう行動をとるようになっています。
これはむろん、天羽さんが考えるような、
「主観を排除したプロの評価に耐えられる科学的事実」
ではありません。
しかし、このような小さなエピソードの中に
何か科学的な真実があることを直観するのが科学者です。

天羽優子

あなたの考える科学者と私の考えている科学者は,その性質がだいぶ異なっているように思えます。

天羽氏が考えている科学者像がどのようなものなのか、私にはわかりません。ですが、私は天羽氏のように吉岡氏の科学者観をバッサリ切り捨てることはできませんでした。むしろ吉岡氏の科学者観に共感を覚えました。

科学者とは?

科学者の仕事ってなんでしょうか。大雑把に言えば次の二つのステップに分けられるんじゃないかと思います*1
(1)仮説の構築
(2)仮説の検証

多くの科学者は、(2)に関してはそつなくこなしていると思います。議論に耐えうるよう、実験データをきっちり整備することです。仕事の時間の多くは(2)に費やされていると思います。論理的であればそれなりにこなせるでしょう。

いっぽう、(1)に関してはそれほどでもないように感じられます。少なくとも私は非常に苦手です。論文や特許を探していても、新規性を感じられるものはなかなかありません。論理的であるだけではダメで、ある種のヒラメキのようなものが必要なのではないでしょうか*2

優れた業績を残すには(1)が重要なのだと思います*3。これは吉岡氏の言う「小さなエピソードの中に何か科学的な真実があることを直観する」ことと繋がっていると思います*4

疑似科学者は?

疑似科学者はどうでしょうか。彼らは(1)だけやって(2)をやろうとしません。単なる仮説を科学的に確立された理論であるかのように扱います*5。天羽氏と吉岡氏のやりとりでも、メカニズムの話は色々としますが、データは出そうとしていません。

多少極論になるかもしれませんが、(1)ができなくても科学者でいられますが、(2)ができなかったら科学者ではありません。

ウラヤマシス…

私は上で書いたように(1)が非常に苦手です。ですが疑似科学者は得意なようです。また彼らは、私から見れば不確かとしか思えないものに情熱をかけて取り組んでいます。私にはない力です。このようなエネルギーは素直にうらやましいです。

(1)のきっかけとして、失敗した実験に新しい現象が隠されているとはよく言われます。ノーベル賞を受賞した白川英樹氏の例はそのひとつでしょうか。でも私の場合だと、ずれの大きな実験データが出たら何かと理由をつけてデータを捨てちゃうんだよな。ローリスク・ローリターンタイプなもので。

おまけ

上のやりとりのすぐ後に、次のようなやりとりがあります。

吉岡英介氏

事実を積み重ね、仮説を立て、理論を探って、
「猫の秘密」を解明していくことが今後の課題です。

天羽優子

じゃあ,わかったら教えてくださいな。

吉岡氏も(2)が今後の課題だと言っているので科学的態度を取ろうとしているようです。結局事実の積み重ねはあったのでしょうか?

ちなみに偉そうなこと書いている私は科学者というわけではなく、技術者のようなものです。科学的でありたいとは思っていますが、なかなか…

*1:ここはあまり深く検討したわけじゃないので、何か文献が欲しいところ。科学哲学とかを調べたらいいのか?

*2:もちろんそのヒラメキはそれまでの経験に裏打ちされたものでないと、単なる思い付きになってしまいますけど。

*3: (2)は多くの科学者に備わっているので、差別化を図るには(1)しかない

*4:挙げた例はどうかと思うが…

*5:仮説と確立された理論の違いも曖昧ではありますが