裁かれるのは科学か科学者か 〜「科学が裁かれるとき」

「科学が裁かれるとき―真理かお金か?―」(R.ベル ISBN:4759802576)をなんとなく読んだ。最近読んだ本(多分、「科学者とは何か」か「サイエンス・ウォーズ」のどっちか)で引用されてて、膨大な文献から科学の負の側面を描き出したとか、そんな感じの紹介だったような気がする(かなり不確か)。文献にあたったという点に興味を持ったので読むことにした。
まずは文献リストを見るために巻末を開いてみた。が、文献リストはない。訳者あとがきを見ると、米国議会公聴会の記録に基づいているということらしい。当てが外れた。本文を読んでいても、どこの記録から引用しているのかわかりにくいから、いまいち信頼性に欠ける。

原題vs邦題

気になったのはタイトル。訳者あとがきから引用してみる。

原題をそのまま逐語訳すれば「不純な科学―科学研究における不正、妥協そして政治的影響について」とでもなるだろうか。訳書では、ベルが用いた資料の大部分が米国議会公聴会での記録であること、また国民を代表する議員たちが科学者社会に疑惑の目を向け、科学者を議会に引きずり出しては糾問するという場面が多くでてくることから、できる限り内容に近い表題を選んだ。
(P429)

訳者もわざとやっているようだけど、この邦題では実際の内容よりもセンセーショナルな印象を持ってしまう。原題では「不純な科学(impure science)」となっているように、基本的にはきれいだけど汚いものも混ざっている、本文の内容はあくまでも例外(科学社会全体では白に近いグレー)、という印象を持った。だけど邦題では科学社会全体が真理よりもお金を求める(ほとんど黒)、という印象を持った。
↑こんなことを書いていたけど、impure scienceはpure science(純粋科学、基礎科学)のもじりだと気が付いた。論旨は変わらないよね…?(2006.3.28追記)

内容については…

本文はなんだか読みにくく感じた。分かりにくいわけではないようだけど、つい飛ばし読みしてしまう感じ。なぜかはよくわからない。だから本文についてのコメントはうまくできない。
でも扱っている個別の内容についてはなかなか面白い部分もあると思ったので、簡単な内容を訳者あとがきから引用してみる。

1章では、エチオピアに住み込んで先史時代の人骨化石の発掘調査活動をしていたヨン・カルプという人類学者が、「CIAの回し者だ」という根も葉もない噂を流されたおかげで研究助成が受けられなくなり、革命政府から国外追放を通告される(P430)
2章では、米国の地震工学センターをどこに設置するか、その審議過程における疑惑を扱っている。結果的にはカリフォルニア大学バークレー校ではなく、ニューヨーク大学バッファロー校に軍配があがるのだが、これはわが国にたとえていえば「鹿児島大学に雪害研究所を建設する」ようなものだ。(P430)
3章は、ハッブル宇宙望遠鏡超伝導超大型粒子加速器(SSC)そしてスター・ウォーズ計画(SDI計画)といった天文学的な予算を必要とする超大型科学プロジェクトの問題点を扱っている。こうした大型計画の数々は、純粋な科学的な基準から決定されるというよりはむしろ、プロジェクトに参与しようとする請負企業や、そうした企業を誘致したいと望む地域に選挙区をもつ下院議員が暗躍した結果成立することが多い。(P430)
4章は、世にボルティモア事件として知られるデータ捏造事件を中心として書かれている。(中略)大半の科学者が告発されたイマニシ=カリ擁護の陣営に走り、告発者を異端視して迫害した(P431)
5章は、医療研究をめぐる不正のいくつかを扱っている。最初に登場するのが、ゾーマックスという鎮痛剤の有害反応で、死者がでたため問題となったが、製薬会社がその事実を隠蔽しようとしたり、副作用報告を受けて処理すべき公的機関国立保健研究所に、製薬企業を監視する機能が極度に欠けている(P431)
6章もまた医療研究の現場で起きた悲劇的事件であり、カンテキン事件と呼ばれている。(中略)それを研究して結果を公表する責務を負った科学者が問題となった医薬品の製造会社と利害のかかわりをもったため、事実を歪めて結果を発表した(P431)

キーワードにピンときたら、本にあたってください。
でも、こういう内容を「センセーショナル」と感じる(私も含めて?)のは、科学者が象牙の塔に引きこもって真理を探究する聖職者のような存在と見られているからかも。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドクのようなイメージなのかな。科学者も人間なんでお金も欲しいんだけどね。