科学の終焉(おわり)

「科学の終焉(おわり)」(ジョン・ホーガン、ISBN:4198607699)を読む。最近読んだ本で引用されていたからだと思う。
結局この本はいったい何が言いたかったんだろうか。ちなみに訳者あとがきにはこうかかれている。

科学の輝ける日々、偉大な冒険としての科学は終わりつつある。革命的な大発見はもうない(P468 訳者あとがき)

読んでいる途中までは私もそういう主張なのだと思っていた。でも最後まで読むとわけがわからなくなった。読んでる途中での感想の移り変わりはこんな感じ。

  • 読み始め:別に終わってないだろ。不思議なことはまだある。
  • 中盤:真理を求めている人って結構いるのかな。なかなか面白くなってきた。
  • 終わりのほう:なんだこれ?トンデモ?

「科学」が「終わる」?

まず、この本で「終わりつつある」と言っている科学とはどんなものでしょうか。

<理解可能な自然の法則やパターンの研究>と定義される科学は、終点を迎えているのか?(P226)

どうやら研究対象が主役のようです。でも私は研究のやりかたが主役だと思っています。たとえば、(1)仮説の構築、(2)仮説の検証、と言ったようなもの。明確に両者の考えを分けることはできないかもしれませんが、ホーガン氏の考え方に私が違和感を覚えるのも事実です。この違和感が読み始めの時の本書への反発を引き起こしていたようです。どちらかというと、

科学者と技術者の違いは、前者が「真」(Truth)を求めるのに対して、後者は「善」(Good)を求める点にある。(P374)

とあるように、私は技術者的側面を大切にしているからこの違和感があるのでしょう。というより、「真」は見つからないと思っているので、私はこの定義での「科学者」たりえないですね。

で、科学が終わるってどういう状態なんでしょうか。究極の真理が見つかったら、科学者の仕事(理解可能な自然の法則やパターンの研究)はなくなるのでしょうか。シュレディンガー方程式の発見は化学を終わりにしたのでしょうか*1。そんなことないですよね。化学雑誌にはまだたくさんの論文が投稿されています。「それは(基礎)科学ではない」という意見なのかもしれませんが、そこまで行くと何が言いたいのかわからなくなってしまう。シュレディンガー方程式を解いて、材料設計ができるようになったらそう言えるのでしょうけど。

革命的、驚き

「革命的な大発見はもうない」ということですが、では革命的な発見とはどんなものなんでしょうか。少しずれるかもしれませんが、こんな説明があります。

では、何をもって驚きというのだろうか?鋼の梁のような時間と空間が、ゴムのようにぐにゃぐにゃと歪むものだった、というアインシュタインの発見こそ驚きであった。天文学者による、宇宙が膨張し、進化しているという観測結果もしかり。物事の根底に確率的要素、ルクレティウスの気まぐれがあることを明らかにした量子力学は、とてつもない驚きだった。(P36)

今まで思い込んでいた世界が、実は違った、という感覚を与えてくれるもののようです。何らかの先入観があらかじめ必要なのでしょう。
で、なぜそのような発見はもうないと言えるのでしょうか。それについてはホーガン氏は明確な理由を説明してくれなかったように思います。
例えば、革命的な大発見の頻度が減少してきている、ということがあったりするのでしょうか。適当に大発見らしきものを並べてみます。

よくわかりません(笑)。1800年後半から1900年前半に集中している気もしますが、近年の発見は記憶に残りやすいこと、あまり最近過ぎる発見は検証に時間がかかることが理由のような気がします(量子論から100年も経ってるし、後者は少し苦しいか)。もう少し多くのサンプルが必要かな。

ちなみに、私も革命的な発見はあまり残されていないのではないかと思っています。その理由は、「何らかの先入観」があまり持てないレベルまで、いろんなことについての知識が得られてしまっているから。私たちはクォークについて、何かしらの先入観は持っていないのです。もちろん、クォークの研究者は先入観(仮説)を持っているでしょう。でも、一般の人と驚きを共有できなければ革命的にはなりません。
まだ先入観を持てる分野としては何が残ってるんでしょうか。意識とか?定義そのものが難しいし。

真理の発見

さて、真理って本当に見つかるんでしょうか。ここでひとつ思考実験をやってみます。
-

  • サッカーのルールブックを「発見」する。ルールを知らずにプレーして、審判の笛でルールを予想する。審判の判断も曖昧なところがある(精度の問題がある)。本書にもチェスの例がP334にある。少しずれてるけど。
    • ルールブックは人間がわかる言葉で書かれているのか?
      • キリスト教だと、「神は自分のかたちに人を創造された。*2」ってことなんで、相互理解はたぶん可能なんだろう。仏教やイスラム教はどうなのか?
    • ゴールネットをつきやぶったら得点が無効になるっていうルールがないと言えるのか?

インタビューとはいうけれど…

この本(というかコラム?)はいろんな科学者に直接インタビューしていることが売りのようだ。インタビューしたのなら、やりとりをそのまま載せればいいのに、加工しまくって自分勝手な解釈にしてしまっている感じになってる。ただ、勝手な解釈があからさまなので、読者はだまされにくいという点ではまだまし。

その他

ライターとしての役割の一つは、読者に情報を流すだけではなく、読者の興味を刺激して挑発することだ(P104)

どうも私は挑発に乗ってしまったようだ。

究極の答えに到達した後はどうなるのか?我々が物事を不思議に思う気持ちが、知識によって永久に根絶やしにされてしまうとしたら?と考える、漠然とした恐怖がそこにはある。(P386)

「我々が物事を不思議に思う気持ち」はそう簡単には消えないと思いますけど。「なぜ空は青いのか」と不思議に思う気持ちは、教育を受けた大人でも持っています。一人の人間が獲得できる知識の量には限りがあります。もっとも、いろんな知識を入れたチップを脳に埋め込むとかで、何か不思議に思ったら瞬時に答えがわかるようになればそうなるかもしれませんね。

  • 現象を説明できるだけで、予言できない理論はあまりおもしろくない。
  • 思考の情報量、エントロピー。思考速度からニューロンの変化量(変化速度)を計算できないか?二桁以上の誤差があるとは思うが。

*1:本でこのように言っていた気がするけど、どこに書いてあったか見つからなかった

*2:http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi?&cmd=search&trans=jc&book=gen.old&chapter=1&vers=27&flag_back=1