ヒロシマ・ノート

ヒロシマ・ノート」(大江健三郎ISBN:4004150272)を読む。原爆ものが被ったのは偶然。
この本、というか著者のスタンスがよくわからなかった。
原水爆禁止世界大会への批判が前半で出てくるが、結局どうすべきだったと言いたいのだろうか。私は時代背景を知らないので、運営がなってない、といってるだけにしか聞こえない。なんらかの(政治的)主張・思想があるというわけではないのだろうか。
後半はヒロシマ後の個人の生きかた・活動の紹介が主になっており、こちらはジャーナリスト的なスタンスなんだろう。このあたりは普通に読めた。
それでもなお自殺しない人びと」といった表現は、ちょっと気持ち悪さも感じた。この辺が小説家らしさなのか?

死よりつらい生

ところで、原子爆弾は「ものすごく強力な爆弾」以上のものなのでしょうか。個人的にはいまひとつわからない部分もあります。もちろん感覚的には後遺症の問題などで非人道的であるというのはわかるのですが、そこからもう一歩踏み込むことが私にはできていません。
「ものすごく強力な爆弾」以上のものであるのなら、死よりつらい生があるということになります。QOL(Quality of life)やDALY(Disability ajusted life year)でマイナスになるような。*1 QOL定量化は行われているようですが、マイナス評価まではまだできいないのかな?*2
かといって、定量化してしまうと「もっとものすごく強力な爆弾」というだけになってしまいそうなので、それはそれで何か違う気もする。この辺で足踏みしてしまう。
倫理学の範疇なんかね?最大多数の最大幸福なんかも定量化できたのか?

*1:この辺のことはよく知らんので、正確な表現じゃないと思いますが

*2:http://homepage2.nifty.com/toshimitakano/2-1/06.htmlなど